廃墟の行方は?
今朝の中国新聞さんの記事です。
10年以上訴えてきたことが、急転直下で動き出しました!
◆白とマリンブルーを基調としたリゾート旅館◆
元々は宮浜温泉開湯度ほぼ同時にできた、宮浜シーサイドパレスホテル。
白亜の外観にマリンブルーのロゴがまぶしいリゾート感あふれる旅館でした。
お料理は京風懐石。かなり凝ったものをお出ししていたとの事です。
また館内にはプールやグランドピアノなどがあり、子供ながらにリゾートとはこんな感じ?と思っておりました。
私たちが子供のころの夏休みといえば、毎日目の前の海で泳ぎ、帰りにここシーサイドホテルのプールでまた泳ぎ、帰ってスイカを食べるというのが日課でしたね~。
◆廃業~競売~転売~廃墟◆
そんなシーサイドホテルもバブル終焉後、徐々に衰退してゆき、2001年に閉館してしまいます。
その後競売にかけられ、転売され、今の所有者に落ち着きました。
当初は所有者の方から今後の展望などをお聞きしていましたが・・・それから15年余り。
一向に開発する兆しもなく建物はどんどん廃れていきます。
夜中に不法侵入が繰り返され、木は倒れてきそうになり、ハチの大群が発生、野良猫たちの住処になり、ガラスは割れ放題・・・。
宮浜温泉組合としては地域の安全を憂い、行政に対し再三再四訴えてきました。
とはいえ私有地の問題。行政が断固とした手段に移れないことも承知でしたが、歯がゆい思いが続いてまいりました。
◆今回のきっかけは二つ◆
①7月に「宮浜温泉地域管理組合」「大野町商工会」「はつかいち観光協会大野支部」の連名で廿日市市長に対し陳情に伺ったこと。
②そのことを当ブログに書いて、記者の方が見てくれていたこと。
しばらくして記者の方より取材依頼があり、これまでの経緯をお伝えしました。
◆急転直下◆
記者の方が相手方への取材も行ったためでしょうか?
今までなんの音沙汰もなかったのが・・・・・昨日。
廃墟の前に建物の解体を知らせる立て看板が。いきなりすぎます(笑)
でも本当かなぁ?これからも注意深く見ていきます。
◆これからの展望◆
色々書いてまいりましたが、所詮他人様の土地です。
しかしこの場所は昭和30年代に旧大野町が誘致した観光地。またその当時広島県も出資しています。
少しずつですが若い人たちも入ってきた今、空き地や遊休地などを好き勝手にさせないような一応の縛りが必要だと思っています。
現在、宮浜温泉開湯100周年に向けて、長期ビジョンを作成中ですが(誰も生きてないかも・・)、皆様に集っていただける場所でありたいと思っています。
◆発信の大切さ◆
先日同じく新聞に取り上げられたペンションあんばらんすの記事も、今回の事もブログ発信がスタートになっています。
今の時代、誰にでも発信することが可能です。
一つ感じる事はSNSの発達やIT化によって、我々中小の事業者にとっては非常に大きな利益をもたらしてくれているという事。
宮浜温泉という弱小温泉地であり、つたない文章力ではありますが、これからも事あるごとに発信して参ります。
それにしても便利な世の中になりましたね!(^^)!
昭和40年。開湯を伝える記事。
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