開湯100周年に向けてのビジョン策定!
皆様こんにちは。
昨年夏より開催してきた「宮浜会議」。このたび今後のビジョン策定に至りました。
最後の会議は全員そろってのビジョンの共有。まずはこれからがスタートです。
ビジョンをお話しする前に少しだけ宮浜温泉の歴史を振り返ってみましょう。
◆1965年(昭和40年)宮浜温泉開湯~開湯50年まで◆
1965年(昭和40年)5月、旧大野町の誘致により「宮浜温泉」が誕生。
町や県からの補助金もあったようです。
もともとこの場所はオゾンが大変多く空気もよく風光明媚なことから、戦前は保養地としての「大野陸軍病院」がございました。
しかし昭和20年の枕崎台風により甚大な被害を受け、しばらくの間この土地もほぼ手付かずだったようですが、当時の大野町長・上野貞一氏のもと、昭和34年ころから計画が立てられたようです。
当初は12軒ほどの施設が立ち並んでいましたが、2002年ころには宮浜シーサイドホテル、国民宿舎宮浜グリーンロッジが閉鎖し4軒にまで減少。
しかし2005年にべにまんさくの湯、2014年には旅籠・桜がオープンと少しずつ回復傾向となってまいりました。
また開湯50周年を記念して2013年秋~2015年春ごろまでに数々のイベントを立ち上げ、今現在に至ります。
https://www.youtube.com/watch?v=houZ54cABa8(開湯50周年記念映像)
◆開湯100周年に向けたビジョン◆
宮浜温泉は旧大野町が誘致したという経緯もあり、どちらかというと「行政頼み」的な雰囲気が私には感じられていました。一つには昭和50年代に民間企業が運営していた「宮浜グリーンビーチ」と「宮浜ボウル」が閉鎖したのち、その建物を使って町営の国民宿舎になったことにも起因すると思います。
ただ現在は2005年に合併して廿日市市に。
まだまだ行政にはたくさん絡んでほしいことがたくさんありますが、大野町時代に比べると宮浜温泉の優先順位が低くなっているように感じます。仕方ないことではありますが。
昔、特にバブル時代のころは大野町が一応テコ入れをしてコンサルタントを入れて、とんでもない計画もあった様ですが、それもどちらかというと町主導で持ってきた話。「結局そのまま」という事が多かったのでしょう。
それに比べ今回は我々民間の事業者で、ビジョンを策定したというところに大きな違いがあります。50年以上たって少し成熟してきたといえるかもしれません。
という事で前置きが長くなってしまいましたが、大まかな内容を書いてまいります。
◆宮浜温泉→宮浜エリアへ 枠を広げてみる◆
現在、宮浜温泉は20数年前から「住所」になりました。
宮浜温泉1丁目~3丁目まで存在します。
その中の旅館などがある場所がいわゆる「宮浜温泉郷」というとらえ方ですが、山、温泉、海というように3つのエリアに分け、全体を「宮浜」というエリアと捉えるようにいたしました。
温泉地から滞在型リゾート地へ
~宮浜というエリアを広げて、次の3つに分けてゾーニング~
①西国街道や経小屋山トレッキングなどの、「Walking area」
②「Miyahama Resort」の核となる「Spa area」
③海のものを使った飲食店や、マリンスポーツ・宮島などへの玄関口となる「Seaside area」
Walking Are
経小屋山までの登山道(西国街道・依田神社、ざんねんさん、梅林、吉田松陰の腰掛岩など。エリアは石畳のある、向原の竹葉庵あたりまで)。
・西国街道や経小屋山トレッキング
・正しい歴史を検証しストーリーを繋いでいく。
・経小屋に関しては登山道整備を施し、段差があるところは新たに石段化。開湯100年に向けて頂上まで。
早速先日中腹まで登ってきましたが、ご覧のような絶景!
Spa Area
Miyahama Resortの核である。現在宿泊5件・日帰り1軒と県内では最大の温泉地である。
・宮浜内の道路を石畳化する。
・四阿(あずまや)の設置とライトアップ
Spa Areaの道中には四阿を作り、週末店舗やギャラリースペースに貸し出すとともに、夜にはライトアップを実施する。
四阿は毎年一つずつ、合計20の四阿を建築し、完成時期を20年後の2038年と設定する。(1つ目は、旅館かんざき前)
街を創り込んでいく作業。
・名物料理の開発(各館料理長が一堂に集まり、レシピ作成。お客様に提供の流れ。)
・空地の活用・開発
我々は、宮浜温泉郷という一つの地域内でのあるべき姿を描き、その中で地域の活性化を望んでいます。それには、温泉郷内が持つ雰囲気、空気といったものを大切にしたい。そういった意味では、空き地の活用・開発は、宮浜温泉の今後のビジョンとマッチしているかどうか、という視点で実施されるべきであり、宮浜温泉としての意向が反映されることが望ましいと考える。
Seaside Area
Seaside Areaは、海からの入り口、そして遊歩道の位置づけである。Walking Areaが歴史のロマンを感じることのできる遊歩道とすれば、Seaside Areaは瀬戸内海の景観を感じることのできるエリアである。
海の入り口としても、宮島への直行便、会場タクシーなどの活用が考えられる。(海の駅・宮浜駅又は宮浜温泉駅)
以上のような考え方・ビジョンを今回4回重ねてきた会議の中で共有することができました。
今後は来年度4月からのアクションに向けて年度末まで準備を整えてまいります。
準備できたものから順次スタートしてまいります!ぼちぼちご期待ください( ;∀;)
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